戦後の何もない時代、市街地から少し離れた地域は皆田舎だった。
それでも少し離れた山附きのことを「山家(やまが)」と言っていたから、今では考えられない。
交通手段は電車か、たまに通るバス。一家に1台あるかないかの自転車。
すべてが自分の足が頼りの少女時代だった。
今とちがって、テレビも携帯もないから、せいぜい1冊の本を回し読みするぐらいで、遊ぶのは何時も家の外。春はレンゲソウの中で、蜂に刺されながら転げ回り、秋には刈り取られた田んぼの、稲藁の中が遊び場所でした。
当然のことながら、話し言葉は「おまえ」であり、「おれ」であり、「おらたち」「おらとこ(私の家)」でした。
中学ともなると、さすがに転げまわって遊ぶようなことはなくなりましたが、話し言葉は、相変わらず「おれ」「おまえ」で当たり前でした。
それが中学を卒業して、松本の学校へ行くことになったのです。
それまでは交通手段もなく、何処へも行かないのが当たり前でしたが、電車に乗って通学することになりました。初めは「私(わたし)」という言葉が出ずに、なれるまでは「自分(じぶん)」とか何とか苦労していました。皆似たか寄ったかだったと思います。そんな思い出も何時の間にやらなじんで平気で「私(わたし)」と言えるようになっていました。
その中で私が魅かれたのは、とても活発でものおじしない人、「おれ」とか「おれたち」といつも憚らずに平気で言っている方でした。どうどうとしていて羨ましかったものです。
そんなわけで、「おれ」と言う言葉には懐かしいひびきがありました。
それから何十年が過ぎました。先日クラス会の折にその方のお話がでました。その方に最近お会いしたという方のお話がありました。「昔のおもかげは全然なくて・・・・・」
「おれ」といえば「おれおれ詐欺」くらいしか思い浮かばない昨今、イメージの良くない「おれ」とは、この辺でお別れしようかな。と思い至りました。
それでも少し離れた山附きのことを「山家(やまが)」と言っていたから、今では考えられない。
交通手段は電車か、たまに通るバス。一家に1台あるかないかの自転車。
すべてが自分の足が頼りの少女時代だった。
今とちがって、テレビも携帯もないから、せいぜい1冊の本を回し読みするぐらいで、遊ぶのは何時も家の外。春はレンゲソウの中で、蜂に刺されながら転げ回り、秋には刈り取られた田んぼの、稲藁の中が遊び場所でした。
当然のことながら、話し言葉は「おまえ」であり、「おれ」であり、「おらたち」「おらとこ(私の家)」でした。
中学ともなると、さすがに転げまわって遊ぶようなことはなくなりましたが、話し言葉は、相変わらず「おれ」「おまえ」で当たり前でした。
それが中学を卒業して、松本の学校へ行くことになったのです。
それまでは交通手段もなく、何処へも行かないのが当たり前でしたが、電車に乗って通学することになりました。初めは「私(わたし)」という言葉が出ずに、なれるまでは「自分(じぶん)」とか何とか苦労していました。皆似たか寄ったかだったと思います。そんな思い出も何時の間にやらなじんで平気で「私(わたし)」と言えるようになっていました。
その中で私が魅かれたのは、とても活発でものおじしない人、「おれ」とか「おれたち」といつも憚らずに平気で言っている方でした。どうどうとしていて羨ましかったものです。
そんなわけで、「おれ」と言う言葉には懐かしいひびきがありました。
それから何十年が過ぎました。先日クラス会の折にその方のお話がでました。その方に最近お会いしたという方のお話がありました。「昔のおもかげは全然なくて・・・・・」
「おれ」といえば「おれおれ詐欺」くらいしか思い浮かばない昨今、イメージの良くない「おれ」とは、この辺でお別れしようかな。と思い至りました。